最近、あまり考えていなかったことを今日は何か、
久しぶりに考えていました。
僕の心の中にある依存のことがきっかけだったのですが。
というのも、僕は依存する気持ちが強い・・・。
何に対してか。
恥ずかしいですが、神様みたいな
そんな存在みたいなものにです。
嫌な事や落ち込んだ時、努力しても上手くいかないとき、
世の中の矛盾や、闇を見たとき、ニュースで戦争を見たとき、
かっこつけるわけではないけど苦しんでる人を見たとき、
自分は正しいと思っていても報われ無かったとき・・・。
まあ、数えればきりがない・・・・。
とにかく自分が望んでいないことが起きた時、
僕はそれを神のようなそういう絶対的だと思えるような存在に対して
愚痴を吐き、恨み、喧嘩を売り、簡単に言うと甘えていたと。
(思うというか、これは確実ですが・・・)
しかし、この年になってうすうす気づいてはいるのですが(汗)、
神様というのは(中には存在そのものを信じない方も居られると思いますが今回は言わせてください)
そういう愚痴ったところで「yes」「そうですね」しか言わないらしいんですよね。
それぐらい僕らに自由を与えているみたいで。
ひょっとしたら僕らの見えないところで奇跡を起こしているのかもしれないけれど、
それはべつの事だと思います。
だから愚痴や不平を言ったところで意味が無いんですよね。
話は飛びますが、幸せというのは無条件なものなんだということです。
何かしてもらったから幸せ、何かもらえたから幸せ、成功したから幸せ、
結婚できたから幸せ、
そういったものではないんだということにたどり着きました。
(もちろんそういったことに喜びはあると思います。)
幸せはある意味、覚悟だと。
自分から幸せでいる幸せを感じる。それが幸せなのかなということに
たどり着きました。
簡単なことでは無いかもしれないし、簡単なことかもしれません・・・。
とにかく甘えるのはやめます・・・・。
恥ずかしい日記ですが・・・鍛治本2015年、秋の神様観・・・・・・。
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