2011年7月27日水曜日

赤い絵 03

今日もやっております。
真ん中の四角い部分ですが、
少し、悩んでいます。
今までどおり、キャラクターを配置した方が良いのか、
それとも、何か違うものを配置した方が良いのか・・・・。

何かキャラクターではない、オブジェ的なものを置いた方が
ストーリ的ではなく、少しグラフィックよりになる気がして
そちらの方が画面が気楽で良いんじゃないかという考えが
浮かびまして、でも、これといってアイデアも無い。

キャラクターでいこうにも、ちょっといいキャラクターが今のところありません。
悩みどころですが、もしかしたら絵が変わるチャンスかもしれないし・・。

これぞデカルコマニーというような表現がここの部分で出来たらと
思うのですが。





4 件のコメント:

井上雄介 さんのコメント...

デカルコマニーで制作されていたのですね!!拝見したときはそこまで思い至りませんでした。日本画では当たり前の手法ですが、画面上での混色(乾いた上から色を置く)もひとつの選択肢かもです。いや、ふと思っただけです。

鍛治本 武志 さんのコメント...

井上さんコメントありがとうございます。
そうなんです、デカルコマニーで表現しているという事が
いまいち、観る人に伝わっていないかというところが
問題かと思います。
=デカルコマニーの面白さが伝わっていない、面白さが無い。
これが問題点ですね(汗)
そこを何とか変えてみたいと思います。いや何とかしないと
いけないですね。

画面上での混色・・この場合、言い換えれば違う色を重ねて描くという事でしょうか。
乾いた上からということは、下の色を透かして描くということかな。
僕の中では今までスタイルを決めてやってたつもりなので
してきませんでしたが、
その必要性も出てくるかも知れません。
少し、頭が混乱していますが
ゆっくり考えたいと思います。
ありがとうございます。

井上雄介 さんのコメント...

デカルコマニーではなく、メディウムと混ぜた絵具を画面上で捏ね回したのかと思ってました。しかし、なにはともあれ混乱させてしまいすみません。今の画風が一朝一夕で構築できる画風でないことはわかります。余計なことを言ってしまいました。ちなみに塗り重ねのことを意味したわけでなく、今の単色デカルコマニーを乾燥させ、少し色相をずらしてもう一度その上に重ねても面白そうだなぁと、思いつきで書いてしまいました。ほんとに思いつきです。スタイルは貫いてください。混色しないというスタイルが、どこか日本画と似ているなと思い、つい魔がさしてコメントしてしまった次第です。日本画って、顔料が目に見える粒なんです。つまり溶け合わない。混色できない。不自由なんですよね。それを組み合わせと見せ方の妙で千変万化、宝石のように煌めかせた戦後の日本画家たち、そこに何か解決のヒントがあるような気がしました。逆に今の日本画絵具は粒子の荒さが均一で、簡単に混ざりあうんですよね。自由なんです。でも今の日本画家は自由を手に入れた代わりに、作品の宝石のような輝きを失ってしまった。この事実に、何か答えの糸口がないかという思いがコメント記入に繋がりました。でも、問い自体は私の自問自答でもあります。あまり気にしないでください。作風をかきみだす気は毛頭無いです。というか掻き乱されてはいけないと思います。ごめんなさい、混乱させてすみません。この作品がどうなっていくか楽しみにしています♪

鍛治本 武志 さんのコメント...

日本画の知識が全く無くて・・・。
しかし、混色できなく、
それでも色を表現するとはすごいですね。
制限された中での人間の工夫というのは人を感動させる力が
あると思います。

日本画簡単なものではないですが少し勉強してみます。
本当に何かヒントがあるかもしれません。
井上さんと出会ったのも何かの縁、
お互いひょっとしたら表現の上で
共通する何かがあるのかもしれません・・・。

>自由を手に入れた代わりに、作品の宝石のような輝きを失ってしまった。
・・・深い言葉ですね。

ありがとうございます。