2015年10月31日土曜日

(前回の続き)

ただ、僕はすごくお気に入りのバンドで、心の中で応援していたし、

もっと有名になってほしいと思っていました。

ただ、自分の好きなバンド、応援したいバンドが解散するというのは

人事とはいえ、やっぱり寂しい、ショックでした・・・。

あれから14年ほど経ち、なんかふとそれを思い出して、

まだ持っていたのでCDで聴いていたんですが、

なぜ、僕があの時、jj72に夢中だったか、分かったんですね。

岡本太郎的に言えば、

「自分発見」していたんです。

jj72はボーカルは男の子なんだけれど女の子のような歌声で、

後は、僕の絵に通じるところなので

あんまり事細かく言いたくないんだけれど、

とにかく、

「これ俺の絵にそっくりや・・・」

と今思いました。

当時はそんなこと考えずに聴いていたけど・・・・。

14年たって振り返ると、感動するにも意味があるんだなと思いました。

一応ですが、↓こういう感じのバンドです。

https://www.youtube.com/watch?v=Yw2esVfEFZY

すごい才能だと今でも思います。


昔、14年位前だと思うんですが、

jj72と言う外国のバンドがありまして、

ボーカルがすごく若い、当時19歳ぐらいのボーカルで

後はベースの女の子、そしてドラムの男の子

全員で3人なのですが、全員がとにかく、どう観ても年齢が

若い・・・。

そのjj72は何度か日本にも来てライブをしていて、

僕も当時多少はロックと言う音楽は本当に少ないですが、

聴いていまして、

そのjj72のライブにも行った事があるんです。

場所は忘れたけど小さいライブハウスで、でもお客さんは一杯でした。

jj72はとにかく一言で言えば、若いボーカルが作曲しているんですが

本当に大人が顔負けのする感じの曲を作る感じで

当時、なぜこんなに若い子がこんな曲作れるの???

みたいな本当に天才だなと思えて感動して陰ながら応援していました。
(心の中でですが・・・)

売れ方はと言うと、当時、MUSEやコールドプレイなどと比べると、

ちょっと、破壊力や攻撃力も無く、ニルバーナに影響を受けた、

若い少年が中心になってバンドをやっていると言う感じで

どちらかと言うと、ロックに詳しい人などからすると、

こういうことを言っていいのか分かりませんが、

ちょっと聴いていると言うのを大きな声でかっこよく言えないバンド

的な存在でした。

そして、3人のうちの一人、女の子が急に脱退して、バランスを無くしたのか、

結局アルバム2枚(海外では3枚かも・・)でjj72は解散し、歴史に正直語り継がれることも聞かず、

消えていくのでした。

(続く)

2015年10月30日金曜日


半分くらいまできました。

良い絵になるかもしれません。



2015年10月28日水曜日



結局、あれから4回下書きのやり直しをして、

この絵に戻ってやっと描き始めました。

だいぶ抵抗してので、

もう開き直りと何かへんな

爽快さがあります(苦笑)

まあ、楽しんで描いてるので

出来上がりが楽しみです。

2015年10月26日月曜日


[6時に待ち合わせ]

350×270mm

下書き状態

もう一度、やり直ししました。


2015年10月25日日曜日

実は、もう一度下書きをやり直しています。

昨日のブログで画像をあげた絵です。

今回はまだ、腑に落ちない感じです。

自分でもこんなのは初めてです。

3回やり直すとは・・・・。

しかし、やり直すということは

もっと良くなるということだ。

まだ、出来ていませんが

このサイズの絵はもっと良くならないといけない、

そういう気持ちが僕を動かしています。

何かつかみかけているそんな気もちでいっぱいです。

2015年10月24日土曜日


「蝶」

350×270mm

下書き状態

思いっきり、右往左往していた下書きですが、

一応完成しました。

自分としてはこのサイズでなるべく少ないキャラクターで

画面を構成したかったので

気に入っています。

これも、だいぶ悩んだので

思い出深い絵になりそうです(汗)




2015年10月22日木曜日

やり直しの下書き作業をやっていて、

少し、今回の事件の意味が分かってきた。

なり直し前のモチーフ(パーツ)が出て来た。

同じものだ。

それは最初の下書きが無ければその発想は出て来なかった。

僕の中で新しいパーツだからだ。

そしてそれは、やり直ししている方の絵からは

発想がたぶん出来なかっただろう。

思いつくことが絶対に出来なかったものだ。

つまり、最初の下書きがあったことで

やり直し出来た。

良くは分からないけれど

そういう意味で

最初の下書きは必要だったということだ。

今回はいきなり大きいサイズに飛ばしたことが

それにも起因しているのかは分からないけれど

とにかくそういう意味だ。

新しい方が確実に僕の感覚にはしっくりきている。

良い絵になるかもしれない。
下書き完成はした。

しかし、なぜか僕の気分が収まらない・・・。

このままでは何かの下僕のような気分が

いや、もう言うほど、自分で追い込んでいる。

新たに考えた下書きの方も完成までもっとやってみようと思う。

これはこれで面白いのだ。

というか、新しい方が面白いと思っている。

しかし、少し問題を抱えていて、かけそうに無い感じもある・・・。

まあ、やってみよう。

最後にどちらかを選ばないといけないが。


なんということだ・・・。

絵の下書きをやり直そうと決意して、

昨日から取り掛かり、

徹夜で作業し、

実はやり直す前の絵で良かった・・・・。

下書きなので、

どっちにしても良いのだが、

丸一日の労力は意味が無かった・・・。

結局、やり直す前の状態が間違いではなく

ただ、もう少し変更が必要であっただけであった・・・。

すんなり完成してしまった。

つじつまも合う。

絵に踊らされてしまった。

いや、勝手に踊っていただけだ・・・。

嫌な感じを信じなかったからだ。

なんにしても下書きは完成したので

明日、ブログにアップします。

トホホ・・・。


2015年10月21日水曜日

少し大きいサイズに挑戦して、下書きが完成したが、

気に入らないので、再度やり直す。

やり直すといっても、この再度やり直そうと思う判断が

僕にとって非常に難しい・・・。

というのも僕はこれを描こうと思って描く姿勢での

製作ではないからだ。

デカルコマニーの偶然性で描いている以上、

何かに描かされている、または、自動的に出来上がる

描き方なので、自分の判断が入っていない要素が大きいからだ。

でも今回は一度やり直す。

やり押しを始めて、手ごたえを感じるものが出て来た。

描き直す前のものは結局自信が持てなかった。

それに描いてて気分が面白く無かった。

何度も筆が止まった。

自分で描いていないのに、なぜ気分を気にするのか?

という疑問を感じる人もいるかと思う。

正直僕だって不思議だ。

でも、少し思うのは

自分が本当にしたいこと、楽しめることは

すべてのものが統合されている状態だと思う。

偶然も、必然はもちろん、僕の気分も意思もすべてのものが

統合されて、うまく事が運ぶのだと思う。

そこには一点の分離は無いのかもしれない。

なんにしろ、良くなる感じだし、以前、昔に失敗した絵の原因が分かった・・・。

すこし、以前より心が強くなった気がする。

強いというのはちょっと良い言葉ではないかもしれない。

強くなんかなくても良いし、

心が強くなってどうするんだという感じもある。

別に我慢大会な訳でもない。

自分が感じている恐れの正体が分かり、

恐れを受け入れて、

それを整理できる考え方ができるようになったということだと思う。

キャンバスから離れているときもそれが少しできるようになったというか・・・。

それでも試練的な出来事が嫌でも向こうから来るのが

ちょっとしんどいなと思う。

たぶん、まだまだなんだろうか。

そういうのは極める必要があるのだろうか。

また、恥ずかしいブログを書いてしまった(汗)

2015年10月17日土曜日

少し大きい絵画に取り掛かり、

やっているうちに

以前失敗したシチュエーションに似てきた。

それは今でも何が悪かったのか原因が分からない絵画で

そっちの方向に気にすればするほど

近づいていった。

「やばいなぁ・・・。」

と思ったのだが

少し、発想というか、

今までと違う逆の使い方をひらめいたとたんに

上手くまとまり、近づきつつあった感じが

離れていった。

離れていって、やばかった状況が

一気に攻めている感じに変わった。

絵は面白い。

僕は野球は詳しくないけれど

野球やスポーツのように一気に逆転というのがたびたび起こる。

(あくまでもそれは自分の心の中での試合なんだけれども)

しかし、油断や小さなミスが結果、惨敗という事にもつながる。

僕はスポーツは正直苦手で

絵の方が楽だし、辛くなくていいなぁ・・・。



2015年10月16日金曜日

最近、あまり考えていなかったことを今日は何か、

久しぶりに考えていました。

僕の心の中にある依存のことがきっかけだったのですが。

というのも、僕は依存する気持ちが強い・・・。

何に対してか。

恥ずかしいですが、神様みたいな

そんな存在みたいなものにです。

嫌な事や落ち込んだ時、努力しても上手くいかないとき、

世の中の矛盾や、闇を見たとき、ニュースで戦争を見たとき、

かっこつけるわけではないけど苦しんでる人を見たとき、

自分は正しいと思っていても報われ無かったとき・・・。

まあ、数えればきりがない・・・・。

とにかく自分が望んでいないことが起きた時、

僕はそれを神のようなそういう絶対的だと思えるような存在に対して

愚痴を吐き、恨み、喧嘩を売り、簡単に言うと甘えていたと。

(思うというか、これは確実ですが・・・)

しかし、この年になってうすうす気づいてはいるのですが(汗)、

神様というのは(中には存在そのものを信じない方も居られると思いますが今回は言わせてください)

そういう愚痴ったところで「yes」「そうですね」しか言わないらしいんですよね。

それぐらい僕らに自由を与えているみたいで。

ひょっとしたら僕らの見えないところで奇跡を起こしているのかもしれないけれど、

それはべつの事だと思います。

だから愚痴や不平を言ったところで意味が無いんですよね。

話は飛びますが、幸せというのは無条件なものなんだということです。

何かしてもらったから幸せ、何かもらえたから幸せ、成功したから幸せ、

結婚できたから幸せ、

そういったものではないんだということにたどり着きました。

(もちろんそういったことに喜びはあると思います。)

幸せはある意味、覚悟だと。

自分から幸せでいる幸せを感じる。それが幸せなのかなということに

たどり着きました。

簡単なことでは無いかもしれないし、簡単なことかもしれません・・・。

とにかく甘えるのはやめます・・・・。

恥ずかしい日記ですが・・・鍛治本2015年、秋の神様観・・・・・・。



2015年10月15日木曜日

新しく計画中の展開作品の材料や製作詳細の問題が

いよいよ、最終部分に近づいてきた。

もう難関の部分はクリアできた。

5ヶ月かかったが、本当に良くここまで来れたと

少し、自分を褒めたい気分だ。

あと、少しでいよいよ製作に入れる。


2015年10月13日火曜日


前回から書いている変更点です。

白目部分を無くして、

黒目だけに。

縞々のストッキングを単色に

変更しました。

シンプルになって色がうるさかったのが

無くなり、

良くなった印象です。

まだ、少し手を加えたいことがありますが

今はこれで。

絵画のキャンバスのサイズを徐々に大きくして描いていこうと

今回は、サムホールサイズから脱出して、

5号サイズに取り掛かっている。

久しぶりに、5号サイズ(4月以来)

に取り掛かったのせいか、

最初の部分にかなり苦しんだ。

先ほど、やっとキャラクターの部分が

落ち着き始めた感じだ。

ほっとしている。

ストーリーも頭の中で出来上がっている感じだが、

まだ工程も多いので油断はできない。

しかしながら、時間をおちおち無駄にするつもりも無い。

取り合えずひとつの山を越えて安心している状態だ。

立体作品は前回から自己賞賛ばかりしているけれど

本当に自分の立体彫刻が好きになってしまった。

新しいキャラクターも作りたい。

しかし今はこのある物をもっと大事にすることも大切だとおもう。

2015年10月12日月曜日

キャラクター(立体)の前回の変更で、

僕の中で自身が生まれている。

今までは、どことなく心が落ち着いていない感じで

自分の立体を観ていたけれども

今は自信を持って作品と向き合えている。

今回変更したのは、

作品というか、人形の顔といって良い部分だったので

その効果はすごく大きい。


キャラクター(立体)をずっと眺めていて、

気になっているところがあったのだが、

ふと、解決策というのか、

「ここ、おかしいんじゃないか」と思い、

気づいたことを試してみたら

以前から思っていた、嫌な感じがなくなった。

立体は今のところ絵画と反対で

よりシンプル化の方向に行っている。

僕もシンプル化の方が製作工程がより減るので

助かっている。

とにかく、確実に良くなっている。

しかし、実はもう一工程増えるというか、

気づいたことがあるので

やらないといけないことがあるのだが、

めんどくさい工程では無く、

すぐにできることが残っているが

すごく緊張しているというかプレッシャーが大きくて

まだやっていない。

もうそろそろ、やってもいいと思うが

本当に怖い・・・。



2015年10月10日土曜日


一応ですが、完成しました。

[一人ご飯]

227×158mm

acrylic on canvas



技術的に難しいところはありましたが

悩むところも少なく、製作できました。

理論的な部分がしっかり持ててきたので

そのおかげだと思います。

次回からは徐々にサイズを大きくして描いていこうと思っています。








2015年10月6日火曜日


[一人ご飯] (仮題)

227×158mm

下書き段階です。

ブログにも書きましたが、

前回の絵で分かったこと、

得たものが多く、

今回は作業がはかどりました。

僕の中で、もやもやしたものが

全く無く、

絵が楽しくてしょうが無くて

まるで

テレビゲームしているような感覚で

体が疲れても

夢中でずっと作業してしまいました。

とはいっても途中は

この絵も苦しんだんです。

どうしても

攻略できないゲームのような感覚と

絶望感。

なんだか言ってる事が矛盾しているような事を

書いていますが、


とにかく今はまだ下書きですが

やりきった感があります。

また、この先、絵に悩まされると思いますが

それはまた、それです。






2015年10月5日月曜日

前回完成した絵から分かったことを

5月以降から製作した絵に当てはめて、

追加修正をしている。

やっぱり、つじつまが合って

微妙に気になっているところが

解消される。

今回気づいたことはやはり間違っていない。

間違っているかあっているかどうかすら

考えるのもどうでもいいくらい

確信は持っているのだが。

2015年10月4日日曜日

今も新しい絵の下書きの作業をしているのですが、

やはり、描いていると途中から急に順調だったのが、

強烈な絶望感が沸き起こる。

するとやはり確実に問題があって、

そこで路線変更をする。

すると、徐々に絶望感が消えていく。

本当に不思議だ。

「そこ間違っているよ」

「ここ、おかしいな・・・。」

そんな感覚ではない。

「俺の絵は駄目だ。」

この感じだ。

2015年10月3日土曜日


[人気がない曲]

完成

227×158mm

前回のブログで苦しんだ絵がこれです。

苦しんだかいあって、かなり良い絵になりました。

この絵はだいぶ悩ませてくれたのですが、

そのおかげで、落ち込んだ状況からでも

良い方向に持ち上げていける自信がつきました。

あと、絵を描きあげることも

この絵から理論的につかめることができました。

今までの絵ももっと良くなるぞ。

そして、さあ次の絵も描くぞ。


2015年10月2日金曜日

明日、完成した絵をこのブログにあげようと思いますが、

だんだん、難易度が高くなっていっているような気がする。

気がすると言うか、確実に難しい感じではある。

いや、昔から難しかったか・・・。

分からないけれど、

そのときのレベルにあった絵を描かされるのかも知れない。

とにかく今回もかなり悩んだり落ち込んだり、もうみっともないくらいに叫んでしまった・・・。

もう何回やり直しを食らったか分からない。

おかげで下書きとは様相が少し違う。

また、今回は下書きの段階から

「この絵は悩むかもなぁ・・」と思っていた。

とにかく明日アップします。

もうだいぶやったので、修正もこれ以上ないんじゃないかと思いますが、

一応、そのために一日空けている・・。

また、修正する部分が見つかったらそれはそれで描いたら良いだけなのですが、

更に良くもなるし・・・。

しかし、

できるだけ、ちゃんとしたものをブログにあげたいし、見ていただいている人にも見てもらいたい。

実際にキャンバスに描く前は正直好きな絵ではなかったのが、

今では自分でもいい絵だと思うように変化する。

それは別に愛着がわくとかではなく・・・・やっぱりやり直しするたびに絵は確実に良くなる。

しかし、描きあげる最終的な判断、「どこで終わるか」はやはり自分で決めないといけない。

でも絵は僕が描いているのではなく、描かされているといつも思う。

本当に自分でも絵はよくわからない。

どんどん絵が好きになっていっている・・・。



2015年10月1日木曜日

今日は英会話を習っている外国人の先生に手作りのケーキを頂いてしまった。

何回か前のブログにも書いたけど、ちょっと甘いものが食べたかったのだろうか(笑)

なんにしろ、アメリカ人の人から手作りの食べ物を頂くのは初めてだ。

その人は冗談で

「私の手作りだから胃を壊すかもしれないよ。」

と言って渡してくれた。
以前ブログでも書いた、描き込む部分がかなり効果をあげている。

間違いではなかった事と今までよりも絵が

柔らかい印象もでてきた。

「描いてる」という感じに近いかもしれない。
生活や人生はポジティブな方が良く、成功への近道といわれるけど、

僕にとっては

ネガティブが絵をいい方向に持って行ってくれる力になっていると思っている。

「お前は駄目だ」

「お前の絵は評価されない」

「こんな絵は駄目だ」

こういった言葉が僕の中で生まれてきて

あるいは絵が僕にそう言ってきて、

僕は初めて、駄目な部分に気づき、

僕は絶望感から何とかしなければという解決策で

やってきているし、これぐらい確実に間違った部分、

修正するべき部分を克服する方法は無い。

ネガティブをネガティブと捉えないという言い方もできるけど

僕のネガティブ、絶望感はそんな生易しいものであるなら、

僕は気にも留めなかったし、味方にもならなかっただろうと思う。