2016年9月27日火曜日

ひょっとしたら、また奇跡的な出来事が起きたのかなということがあった。

ふと、間違えて色を塗ってしまったら、

これが結局、ぼくの新しい表現になってしまった。

本当にうっかりした、ミスだったのだけれど

「ちょっと待てよ。これでやったほうがいいのかも・・・。」と思い、

もう一つの絵のほうにも(それは完成した絵だったのだけれども)

やってみたら、こっちでやっていった方がいいなという感じになった。

先日のブログにも書いたけど

やっぱり絵は、頭だけで書いてるわけではない。

間違いだって、武器にもなる。

失敗も多分、武器になるだろう。

その出来事を、必然ととらえるか偶然的な事ととらえるか

その問題ももちろんあるけれど。

これが言いたかった訳ではないけど、

とにかくそういうことだってある。


2016年9月22日木曜日

今回の80号の作品は、自分としてはすごく手ごたえを感じる作品になったと思っている。

今まで描きたかった、柔軟な絵が描けた。

完成してから、ずっと眺めているけれど、飽きない。

もちろん、絵は鑑賞者が感じる人が決めることなので

見てくれる人がどう思ってくれるかだが、

僕としては本当にいい絵が描けてすごくうれしい。

前回、1月に参加させてもらった,2kwギャラリーでの経験が

本当に生きたと思う。

絵を描くのは難しいけれど、

今は絵を描く喜びでいっぱいだ。




今回の80号の作品は、自分としてはすごく手ごたえを感じる作品になったと思っている。

今まで描きたかった、柔軟な絵が描けた。

もちろん、絵は鑑賞者が感じる人が決めることなので

見てくれる人がどう思ってくれるかだが、

僕としては本当にいい絵が描けてすごくうれしい。

前回、1月に参加させてもらった,2kwギャラリーでの経験が

本当に生きたと思う。

絵を描くのは難しいけれど、

今は絵を描く喜びでいっぱいだ。




2016年9月17日土曜日

去年の4月から計画していた作品が完成。

11月の個展にだそうと思います。

実現するのに難関がたくさんあったけれども、

実現できた自分を少しは褒めたい。

あと、2点作りたいけれども

1点はできると思うが、

もう一点は時間的に分からない。

しかし、作りたい欲望がうずうずしている。

絵も下書きがたまっているので、

まず小作品から制作。

かなり、体力的に厳しくなってきそうだ。

2016年9月12日月曜日

時々、僕はブログに絵は何かに作らされていると書いているように、

芸術作品は神様か何か分からないけど

何かからの力を借りて描いている、描かされているものだと思っている。

最近それが何かなのか?気になってインターネットで調べてみると、

実は脳が意識よりも先に創作の元となるようなものを創造?している

脳に原因はある。

ようなことが書いてあった。

それを読んでいくと、なるほどと思うところがあり、

僕が絵を描かされてる原因、元となるものは実は脳の中にその

原理があるというようにも考えられる。

その時は「そうなのかー、意外とつまらない答えだったなぁー」

と思ったんだけども、

ちょっと待てよと思った。

僕の絵はデカルコマニーという原点から始まる。

絵の具のシミ、水で溶いた絵の具の自然的、偶然的な流れだ。

「偶然的な絵の具のシミからイメージを読み取るのも、

脳だろう。脳の中に答えがある」と思う人もいるかもしれないが、

はっきりいって、僕の場合、絵の具のシミから想像できるイメージの答えは

1パーターンしかない。

正解は一個しかない。

何通りものパターンで、そのイメージから絵が完成まで創作できる、完成まで絵の強度が保てるほ

どの

強いイメージは出てこない。弱いイメージは途中で脱落していく、

生き残るイメージは1パターンだ。

僕が選ぶことのできる選択肢は全く無い。

毎回毎回が、失敗との崖っぷちの勝負だ。

水で溶いた絵の具の自然的、偶然的流れを脳が果たしてどこまで、コントロール介在できるだろうか?

コントロールできるとすれば、何か神に似たやばいものの力だ。

絵は脳がつくりだす機械的?人工的な制作物では無い。

現代美術はそこをどう扱うか知らないが。

画家によっても違うだろう。

しかし僕にとっては、もっと呪術的なやばい力が介在していると思う。

絵画は画家からも自立している。

それ以上に画家よりも強い。

それだけではない、絵は間違った部分を教えてくれる。意思があるかのように。

間違った部分は何か偶然的に象徴的なトラブルが起こる。

きっと絵を描いている経験が浅い人はそういう経験が少ないんだろうと思う。

(実は僕が経験しているのは絵画だけではないのだが、)

偶然テレビで見るヒント、生活的な出来事、トラブル、身の周りの自然が

絵を描かせる、答えを教えてくれることがある。

もちろん脳はそのやばい力へとつながる一つの装置であるというのであるなら、

僕も共感できると思う。ただ、その場合脳はたった一つの原因に過ぎない。

脳の中だけではない。

やばい力を無視して絵は描けないと僕は思っている。









時々、僕はブログに絵は何かに作らされていると書いているように、

芸術作品は神様か何か分からないけど

何かからの力を借りて描いている、描かされているものだと思っている。

最近それが何かなのか?気になってインターネットで調べてみると、

実は脳が意識よりも先に創作の元となるようなものを創造?している

脳に原因はある。

ようなことが書いてあった。

それを読んでいくと、なるほどと思うところがあり、

僕が絵を描かされてる原因、元となるものは実は脳の中にその

原理があるというようにも考えられる。

その時は「そうなのかー、意外とつまらない答えだったなぁー」

と思ったんだけども、

ちょっと待てよと思った。

僕の絵はデカルコマニーという原点から始まる。

絵の具のシミ、水で溶いた絵の具の自然的、偶然的な流れだ。

「偶然的な絵の具のシミからイメージを読み取るのも、

脳だろう。脳の中に答えがある」と思う人もいるかもしれないが、

はっきりいって、僕の場合、絵の具のシミから想像できるイメージの答えは

1パーターンしかない。

正解は一個しかない。

何通りものパターンで、そのイメージから絵が完成まで創作できる、完成まで絵の強度が保てるほ

どの

強いイメージは出てこない。僕が選ぶことのできる選択肢は全く無い。

毎回毎回が、失敗との崖っぷちの勝負だ。

水で溶いた絵の具の自然的、偶然的流れを脳が果たしてどこまで、コントロール介在できるだろうか?

コントロールできるとすれば、何か神に似たやばいものの力だ。

絵は脳がつくりだす機械的?人工的な制作物では無い。

現代美術はそこをどう扱うか知らないが。

もっと呪術的なやばい力が介在しているのだ。

それだけではない、絵は間違った部分を教えてくれる。意思があるかのように。

間違った部分は何か偶然的に象徴的なトラブルが起こる。

きっと絵を描いている経験が浅い人はそういう経験が少ないんだろうと思う。

実は僕が経験しているのは絵画だけではないのだが、

偶然テレビで見るヒント、生活的な出来事、トラブル、身の周りの自然が

絵を描かせる、答えを教えてくれることがあるのだ。

もちろん脳はそのやばい力へとつながる一つの装置であるというのであるなら、

僕も共感できると思う。ただ、それはたった一つに過ぎない。

脳の中だけではない。

やばい力を無視して絵は描けないと僕は思っている。









2016年9月9日金曜日

80号作品もほぼ完成に近づき、あとは、細かい部分の塗りなどの

手入れ作業になった。

久しぶりに絵を描いて

(今まではパソコンでの下書き作業ばっかりで、描かなければいけない絵がたまっているが)、

忘れていた理論などがあって、その部分でつまずいたり、感覚的にやりがちなミスなどが

出てきて、それが今回、かなり難関な部分になってしまっていたが、

なんだかんだと、ゆっくり思い出してきておかげでかなり苦労してしまった。

いきなり描き始めが80号なので体力的にキツいのもあったが。

絵は本当に難しい・・・。




2016年9月5日月曜日

80号の絵もパソコンでの下書きが終わり、実際に

キャンバスに描いていっている。

中盤も過ぎた段階だ。

悩んでいたところも解決して、

タイトルも内容とうまくかみ合うようになった。

迷いもなく、もう完成までの手作業のような感じで進んでいる。


2016年9月2日金曜日

以前から、計画中の新しいシリーズの作品の一番の問題点が

今日解決した。

これで、制作に対する不安部分がほぼ解決された。

(小さいことは一点残っているが、今日解決した部分は

最初から一番不安が残っていた部分だけに

本当に安心した)

あとは作るだけだ。

今月内に完成する予定にしている。

弱点だと思っていたことが、逆に武器、プラスの要素に転回したことが本当に

うれしい。