2016年9月12日月曜日

時々、僕はブログに絵は何かに作らされていると書いているように、

芸術作品は神様か何か分からないけど

何かからの力を借りて描いている、描かされているものだと思っている。

最近それが何かなのか?気になってインターネットで調べてみると、

実は脳が意識よりも先に創作の元となるようなものを創造?している

脳に原因はある。

ようなことが書いてあった。

それを読んでいくと、なるほどと思うところがあり、

僕が絵を描かされてる原因、元となるものは実は脳の中にその

原理があるというようにも考えられる。

その時は「そうなのかー、意外とつまらない答えだったなぁー」

と思ったんだけども、

ちょっと待てよと思った。

僕の絵はデカルコマニーという原点から始まる。

絵の具のシミ、水で溶いた絵の具の自然的、偶然的な流れだ。

「偶然的な絵の具のシミからイメージを読み取るのも、

脳だろう。脳の中に答えがある」と思う人もいるかもしれないが、

はっきりいって、僕の場合、絵の具のシミから想像できるイメージの答えは

1パーターンしかない。

正解は一個しかない。

何通りものパターンで、そのイメージから絵が完成まで創作できる、完成まで絵の強度が保てるほ

どの

強いイメージは出てこない。僕が選ぶことのできる選択肢は全く無い。

毎回毎回が、失敗との崖っぷちの勝負だ。

水で溶いた絵の具の自然的、偶然的流れを脳が果たしてどこまで、コントロール介在できるだろうか?

コントロールできるとすれば、何か神に似たやばいものの力だ。

絵は脳がつくりだす機械的?人工的な制作物では無い。

現代美術はそこをどう扱うか知らないが。

もっと呪術的なやばい力が介在しているのだ。

それだけではない、絵は間違った部分を教えてくれる。意思があるかのように。

間違った部分は何か偶然的に象徴的なトラブルが起こる。

きっと絵を描いている経験が浅い人はそういう経験が少ないんだろうと思う。

実は僕が経験しているのは絵画だけではないのだが、

偶然テレビで見るヒント、生活的な出来事、トラブル、身の周りの自然が

絵を描かせる、答えを教えてくれることがあるのだ。

もちろん脳はそのやばい力へとつながる一つの装置であるというのであるなら、

僕も共感できると思う。ただ、それはたった一つに過ぎない。

脳の中だけではない。

やばい力を無視して絵は描けないと僕は思っている。









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